中山道・深谷宿散歩 H.28.9.7(水)
暑い夏の間は健康への影響を考慮して活動を休止していましたが、9月から活動を再開しました。しかし、当日は猛烈に湿度が高く暑い日となりました。皆さん健康状態に配慮しながら中山道深谷宿散歩に出かけました。教育文化センター「みらい」に集合。車2台に分乗し、いざ出発。深谷市265号線沿線の田所町会館前の広場に車を置かせてもらい、深谷宿散歩をスタート。
中山道の宿場町 深谷宿
徳川家康が江戸に入ると、深谷城と東方城に1万石の大名が配置されました。しかし、両城とも江戸時代の初めのうちに廃城となってしまいます。その後、深谷は城下町としてではなく、宿場町として発展していくことになります。江戸時代に整備された5街道の一つ、中山道(なかせんどう)が通っていました。深谷宿は、江戸の日本橋から数えて10番目に当たり、当時の町並みを描いた絵画からは、その繁栄ぶりが伺えます。
また、中瀬は、利根川水運の河岸場として深谷宿をしのぐにぎわいを見せました。江戸時代の中ごろからは、地場産業の窯業や養蚕などが発展し、宿場には毎月5と10の日に市(六斎市)が立つようになりました。
岡部藩は安部摂津守が移封されたことに端を発します。江戸時代を通して存続して、幕末をむかえています。歴代藩主の墓が、安部家の菩提寺である源勝院に建てられました。
また秩父往還は、荒川の木材輸送などとともに栄えており、小前田、武川などが宿として形成されています。(深谷市ホームページより)
旧深谷宿常夜灯
常夜燈は、かつての深谷宿の東西の入口にあたる場所に立っています。出入口の目印と街灯の役目を果たした。田所町側のものが天保11年(1840年)、稲荷町側のものが明治初頭に建てられた。高さはいずれも約4メートルで、中山道で最大級のものである。これを建てたのは、江戸時代中頃から盛んになった富士構の人たちで、この構の印である(三)が燈身に透かし彫りになっている。
深谷宿東の常夜燈
宿場入口となる「東常夜灯」が建てられているが、この常夜灯は明治初期に立てられたもの。

西の常夜灯(田所町側の常夜灯)

西の常夜灯前の説明板

れんが煙突
深谷市の旧市街地である中山道沿線には、往時を偲ばせるれんが造りの蔵や町屋建築が点在します。なかでも酒蔵蔵元のれんが造りの煙突は象徴的で、市街地に3本まとまって現存する場所は他に類を見ません。れんが煙突は7月と12月にライトアップされる。
滝澤酒造
レンガ造りの煙突に刻まれた銘酒「菊泉」と屋号「瀧澤」滝澤酒造は中山道沿いにある、文久3年(1863年)創業の老舗酒蔵である。深谷の地酒として「菊泉」がよく知られている。店舗裏側の敷地には歴史的に価値のある深谷産のれんが煙突が残っている。

中山道に面した瀧澤酒蔵の町屋造り店舗

旧田中籐左エ門商店(旧七ツ梅酒蔵)
「七ツ梅」は株式会社田中藤左衛門商店が醸造していた清酒の銘柄であったが、平成16年(2004)に田中藤左衛門商店が廃業した後は、深谷市の中山道沿いにある酒造跡の通称として使われている。「七ツ梅酒造跡」ともいわれる。

銘酒「七ツ梅」の大きな看板が乗る母屋

案内図

深谷シネマ
300年もの歴史を持つ「七ツ梅酒造」跡へ2010年4月移転しました。 全国でも唯一の酒蔵を改装した、街の映画館です。

耳明かし毘沙門天
深谷町の正覚寺付近にあります。毘沙門天というと勝負運とか仕事運のご利益がありますが、ここの毘沙門天は耳わずらいに効き目があるのだとか。

小林商店
写真手前の煉瓦蔵は大正元年竣工。奥の3階建の洋風の店舗は、昭和2年竣工の木造。砂糖問屋の事務所として使用されていました。材質の異なる2つの建物の対比が目を引きます。

深谷県立深谷商業高校
学校敷地の南側には、国の登録有形文化財の「深商記念館」があり、現在は深谷商業の歴史を語る記念館として、また度々TVロケ現場として利用されている。全国各地から、この記念館を見物に来る人がいる。

国済寺
臨済宗の南禅寺派です。開創は620年ほど前の、1390年8月2日。深谷上杉氏の祖・上杉憲英(のりふさ)公が、館であります廰鼻和(こばなわ)城内に禅宇を建立し、峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師を開山に招いて開創されました。
国済寺の名前は、「安国済民(国を安んじ、民を済度する)」に由来し、爾来、開山禅師の枯淡な宗風とともに、地域の信仰の場として受け継がれてきました。江戸時代に入って再度の火災により伽藍の消失に遇いましたが、現在に遺されています土塁と築庭跡などの廰鼻和(こばなわ)城址と上杉憲英公墓は県指定遺跡に、また開山峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師木像は県指定文化財、黒門・三門・上杉氏歴代墓・法灯国師木像などが市指定文化財になっています。
国済寺三門

国済寺説明板

国済寺本堂

上杉憲英公墓
憲英は上州新田氏封じ込めの拠点としてこの地に庁鼻和(こばなわ)城を築いたのだが、今でも本堂裏に土塁の一部が残っている。

深谷本陣跡(写真なし)
遺構らしきものは何もなく、以前、説明板が飯島印刷の駐車場脇に建てられていたらしいが、現在は撤去されている。深谷宿を代表する遺構だと思うが、残念なことです。なお、この奥の飯島家には今でも上段の間、次の間などが保存されているそうだ。
熊谷市 旬菜茶房「みかわ」にて昼食
全員がランチメニューを注文し、歓談しながら昼食をとりました。

昼食
1,000円のランチメニューの内容です。

昼食後、深谷宿散策を終了し帰路につきました。暑い日でしたが、全員何事もありませんでした。

